転勤に当たっての覚え書き

8年間の勤務でした。
この職場に来る前は、委員会の方にいました。
委員会では、いつも、現場に戻りたいと思っていました。
しかし、いざ現場に戻ってみると教育現場の様変わりに浦島太郎状態。
絶対評価総合学習発達障害の生徒にモンスターペアレント
しかし、何とかやってきました。
最初の1年はバスケ(女子)部の顧問。バスケの知識がスラムダンクを読んだことしか無い者にバスケの顧問をやれという現実。
2年目はサッカー部顧問。わけのわからんスポーツよりは経験のあるサッカーの方が少しはまし、と思ったからです。
これはこれで苦労しました。土日はほぼ練習か試合。
大好きなサッカーが大嫌いになりました。
本校勤務3年目で、膵臓の手術を行い3ヶ月病気休暇を取りました。
そのころからでしょうか、この職業に対する情熱が薄れてきたような気がします。
仕事に対して、ワクワクしない。いやワクワクする仕事を創設出来ない。
ただ、日常の仕事や雑務に追われる日々が続きました。
初めての1、2、3年と持ち上がっての卒業式。
123と持ち上がったのは初めてでした。
今までと違った感動を与えてくれると思っていました。いや、感動するに違いないと思ってました。
卒業式には泣きました。生徒と泣きました。
しかし、私の情熱が高まるまでには至りませんでした。
さて、4年目にしてやっと念願の科学部顧問に就任しました。少し情熱が回復しました。
さて、5年目は新1年生の担任です。
PTAの研修旅行で讃岐うどんツアーをS原さんと行いました。讃岐うどん関係の仕事を久しぶりに堪能しました。
学期が進むにつれ、正直学校に行きたくない日が増えてきました。
現場を離れて心の整理をする意味でも長期研修に志願しました。
毎日往復90kmの通勤は疲れましたが、そこでの1年間、特にそこで得られた仲間達の友情は
私の人生にとってもとても貴重な物になりそうです。
現場復帰です。
荒れる学校、遅くまでの生徒指導、進路事務、毎日が重労働でした。
しかし、年間を通して休んだ日が1日とがんばった1年でした。
そして8年目。
様々な体験をさせてもらいました。
今まで経験したこと無い生徒、1人でがんばった進路指導主事+学級担任+情報主任+部活顧問、そしてなによりも中堅ということを意識せざるを得ない状況。今までは先輩教員の指示に従い、自分なりに業務を遂行していけばよいと考えていたのですが、今年は自分が指示を出す立場になっていました。そして、若手を育てなくてはならない。ミドルリーダーとしての自分を考えるよいきっかけとなりました。
今思うに、とても鍛えてもらった8年間だったと思います。
とても感謝しています。